現在リリカルなのはの二次創作と日記を掲載。そのうちオリジナルの恋愛物も書くかも……
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空の少年18~心奇跡~
奇跡なんて、滅多なことで起こるものではない。

それが自分の身に舞い降りたならば、それはまさしく、紛れも無く幸運なこと。

みな年を重ねれば、自ずとそんな悲しい現実に気付いていく。

何かに見放されたものは、幼い時分からそれを思い知らされる。

かつて悪夢に父親を奪われた少年が語った、一つの言葉。

”世界は、いつだってこんなはずじゃないことばかりだよ。ずっと昔から、いつだって、誰だってそうなんだ”

管理局に属する人間は、彼の言葉が真実だと知っている。

彼らは常に、それを目の当たりにしている。

こんなはずじゃないこと。それを少しでも、本当に僅かでも、世界から減らすためにその身を削る。

そうして、己の未熟さに打ちのめされる。

だが、だからこそより強く願うのだ。

奇跡を。

自分の元でなくて良い。自分の分があるのなら、それも持っていってくれていい。だから、だから。















最後の一時だけでも、絶望すら忘れていた空の少年に一滴の救いを。















魔法少女リリカルなのは 空の少年 18

  ~心奇跡~















今彼の胸の内に宿っている感情は、果たしてなんだろうか。

絶望?

諦観?

それとも、何も入っていないままだろうか。

私には分からない。だが、最後の一つではないことを祈っている。

先輩はやってくれた。それは、彼の顔を見たときに、直ぐに理解することが出来た。

私たちを引き連れて歩く形になった彼は、それでいてその足取りはひどくゆっくりとしたものだった。

その背中からだけでは全てを察することは出来ないが、とても落ち着いているのだけは分かる。

まるで、波一つ起きていない広大な湖の水面のようだった。

もっと何かしらの感情が見えると思っていたんだけれど、私の予想は外れたようだ。だが、だからこそ不安になるという思いも強い。

隣に並ぶアイズの顔を伺うが、この優男は別に何の疑問も持っていないようだ。

肉親を失う辛さをアイズは知っているから、彼と何か通じるものを持っているのかもしれない。

思えば私もアイズも、その経緯は異なっているが既に家族を失っている身だ。

私の場合は、物心が付いたときには誰もいなかった。記憶の始まりは一人だった。

どうしてそうなったかは分からない。気付いたときにはそうなっており、そうであることを受け入れていた。納得はしていないが。

尊敬できる人や師はいるけれど、親の温もりというものを私は知らないままだった。

だが、アイズは違う。

そこまで詳しく聞いたことはないし、自分から率先して話すことも無いから詳細は知らないが、目の前で家族を亡くしたらしい。

元から持っていなかった私と、失う痛みを知っているアイズ。

どちらが彼と近い立場にいるかと問われれば、それは間違いなくアイズだ。

アイズには、今の黒煉君の心境を察することが出来ているのだろうか。

そうだとしたら、少しそれを羨ましいと思った。私には分からない、知らないものだから。

だが彼が現実を受け入れることが出来ているとしても、それはそれでひどく悲しいものだ。

目の前の少年は、今までたくさん傷ついてきた。

自分から傷付くという感覚を消失させる道を選んだが、それでも彼の心は傷だらけだ。

私はどんなものでも綺麗なものが好きなんだ。

だから今のこの状況を、私は納得できなかった。

このまま一つの結末を迎えるというのは、美しくない。

だから私は、ヴァネッサ・スクーデリアは願う。

奇跡を。

空の少年に一滴の救いを。















 ◆◇◆◇◆◇◆















前を歩く彼の後姿に、私はかつての自分を見ていた。

しかしその背中は、当時の自分よりも大きいように感じられる。

絆を失った私は、私に近づく全てを拒絶した。

他者との接触の中で、二度と紡ぐことの出来ない家族と繋がりが薄らいでいくのではないかと恐怖していた。

いろいろな人に迷惑をかけた。心配をかけた。そのことは本当に申し訳なく思っている。

だがその経験があって、今の私はいるのだとも断言できる。

早いものだと思う。あれからもう二十年近く経つのか。

私を庇うように抱きしめ、徐々にその熱を失っていく両親。

私の腕の中で痛みに泣き、しかし間もなくその声も掠れていく妹。

記憶を掘り起こせばあの瞬間はまるで昨日、いや今このときに起こっている現実のように鮮明な映像として思い描けた。

立ち直るまでに何年も掛かった。

いや、その表現は適切ではない。受け入れると言った方が正しいだろうか。

思って、想って、持て余していた愛で祈り続けた。

いつの間にか、彼らを想い続けるのが普通となった。それは今まで以上に確かな絆となった気がした。

家族が好きだったという感情ではない。

家族が好きだという感情が、常に私の心を満たしてくれる気がした。

彼らを好きなままでいるのが自然になったとき、ようやく自分の足で立つことが出来るようになった。

ですが、ある意味境地とも言えるその心境に達するには、それ相応の年月が必要だと思う。

まだ若い、幼いとさえ表現できる年齢で家族の死を受け入れることができる。

それは立派なのではない。ただひどく不幸なことだ。

私も突然奪われた立場だから断言は出来ない。

しかしおそらく、おそらくだが、逝く者との別れの時が許されるのならば、それは遺される者にとって、幾分かの救いになるだろう。

私には叶わなかった現実だが、そんな別れがあった方が良い。

だから私は、アイズ・レヴェントンは願う。

奇跡を。

空の少年に一滴の救いを。















 ◆◇◆◇◆◇◆















あいつはもう行ってしまったのだろうな。

先ほどまであった強い炎の気配が、今はもうこの海鳴のどこにも感じられなくなってしまった。

だがその感覚に、私は静かに笑みを浮かべた。

本来ベルカの騎士というものは、補助的な技能に疎いところがある。

どこまでも無骨に戦うことを突き詰め、特定条件下で他の追随を許さない決戦仕様の騎士がほとんどだ。

ヴィータのような汎用性の高い騎士が少ないのはもちろんのこと、補助に特化したシャマルのような騎士の方が稀有なのだ。

その覆しようのない事実にもかかわらず、今の私は何もせずとも自然に誰かの存在を感じ取ることができる。

ある一人の男に限って。

そのことが、私には本当に嬉しかった。それが、私とあいつの絆のように思えた。

だが、今はそれも感じられない。それが今、私の気持ちを落ち込ませている。

私はある一つの賭けをしていた。相手などいない。強いて挙げるとすれば、それは自分自身だ。

あいつが提督と戻ってきてから、私に会いに来てくれれば、そのときは自分の気持ちを伝えよう。

今までのような冗談交じりではなく、はっきりと、真っ直ぐに、この胸に溢れる想いを伝えよう。

普段着ることのない、少し淑やかな服を身に纏い、いつもは結んでいる髪も下ろして、私は待っていた。

いつもとは違う装いと、わずかに染めた頬を見た主やヴィータに少しからかわれたが、シャマルとザフィーラは何も口にしなかった。

あの二人は私の気持ちを察してくれているのだろう。

どこか見透かされているような気分で気恥ずかしかったが、認められているようで嬉しいのも事実だった。

だがそんな私の覚悟も空しく、あいつはさっさと行ってしまった。

おそらく、もうこの街には帰ってこない。

あいつはそういう男だ。

私は護る者でも、護られる者でもなく、共に並び立つ者だから。同じ舞台にいるからこそ、あいつのことを一番理解している自信があった。

一度こうと決めたら、その後は他のことには目もくれず目標まで突き進もうとする。

その一本気なところが、どこか私と似ているような気がする。だから余計に、その行動を手に取るように察することができるのだろう。

そして厄介なことに、ほぼ確実にそれを成し遂げられるだけの能力がある。

これからは、きっと我武者羅になって約束を果たそうとするのだろうな。

それが心配でないと言えば嘘になるが、あいつが自分で立てるようになれたのなら、私はそれを応援したいと思う。

しかし、次にお前に会えるのは何時のことになるのだろうな。

その時まで私の気持ちが変わらないままでいるかは分からない。

他の誰かに移ってしまっているかもしれない。今絶賛傷心中の私を慰めてくれる男がいたら、すぐに靡いてしまう可能性だってある。

反対に、会えない所為でこの想いがますます膨れ上がっていくかもしれない。それはそれで、次にお前の姿を目にしたら自分を抑えられる自信もない。

思わず苦笑を浮かべてそんな妄想をするが、気を引き締めなおして残された懸念に思考をやる。

今のまま何も状況に変化無く進んでしまうのは、少しばかり心許ない。

この二日で、あいつは大事なものを手に入れただろう。大事なものを取り戻しただろう。私は提督を信頼している。そこに間違いは無い。

だが、誰にもどうしようもできないものというのはある。あいつの場合、こと母親に関しては、私たちがどうしたところでその心の器に傷は残ったままだ。

それを直すことが出来るのは、正に皇瑞樹その人しかいないだろう。

傷が残ったままでは、いつかまたあいつは躓くことになる。

それだけが、私には気掛かりだった。

だから私は、烈火の将シグナムは願う。

奇跡を。

空の少年に一滴の救いを。















 ◆◇◆◇◆◇◆















もう、二人は彼を連れて行った頃合だろう。

もともと許される時間は僅かしか残されていなかった。

間に合うかどうか……既にそんな瀬戸際に私たちは立たされていた。

誰もいないリビングで、砂糖もミルクも入れていない緑茶を供に、私は一人で思いを馳せる。

瑞樹さんの容態は思わしくなかった。今だってまだ保っている方がおかしいのだ。

彼女の命の灯火は、もう間もなく消え去ってしまう。

そうなってからでは、もう手遅れになる。だからこそ、私たちは急いだのだ。

そうして、私たちの目論見はどうにか成功したと言って良いだろう。

これまでとは打って変わって、昨日から頻繁に浮かぶようになった彼の笑みを思い出す。

私たちが積み重ねて築き上げてきた彼の印象からは、とても想像は出来ないほどあどけなく、愛らしく、弾けるようで、それはそれは眩しかった。

初めて彼の本当の笑顔を見たということなんだと思う。今まであれを見たことがあるのは、多分高町家の人たちだけなのだろう。

この両腕で抱きしめ、この胸で包んで直接感じた彼の温もり。

脆く儚く、今にも溶けてなくなりそうだった彼とは違う。

そこに確かな存在を感じた。

でも、まだ足りない。

彼の中身を埋める、私たちの傲慢なお願いの対価に提示された、それは小さな小さな約束。

確かに、その約束は私が果たさなければならないものだ。

それでも、彼にとってそれを本当に実行して欲しい人間は別にいる。

そしてそれは、決して叶うことの無いことが決まっている願望でもある。

あの二人に残された時間は、もう僅かしかないのだから。

しかし彼は覚悟を決めた。

一年前とは違う。失われていることを受け入れるのではない。失うことを受け入れる覚悟だ。

この似ているようで全く異なる二つの覚悟。

元々無いことを想定しているのと、確実にあるはずのものを永久に失う。

そこに至る本人の苦悩には、雲泥の差があることは想像に難くない。

それを受け入れるのは喜ばしいことでないのは確かだが、それでも前に進むために必要なものでもあった。

だが今のままでは、覚悟はそのまま覚悟でしかない。

あと何かが加われば、それは一つの想いに昇華するだろう。

まだ僅かに残されている、器の空き。それが満たされれば。

彼がこれからも歩き続けていけるように。

だから私は、リンディ・ハラオウンは願う。

奇跡を。

空の少年に一滴の救いを。















 ◆◇◆◇◆◇◆















三人の人影が、無機質な病院の廊下を進んでいく。

辺りに響くのは、靴底とリノリウムの床敷が奏でるあの独特な擦れる音だけだった。

平日の昼間であるはずなのに、どうしてか院内には他の気配が見えなかった。

彼を連れてきた二人が、事前に人払いをしているわけでもない。

それは本当に偶然の出来事だった。いくつかの出来事が重なって用意された、別離の場だった。

そして起こる、最後の偶然。

だがそれは、彼を思う者たちが引き寄せた必然だったのかもしれない。

辿り着いた最後の病室。

目が痛くなるほどの無機質な白で埋め尽くされた部屋の中で、唯一異彩を放つ長い黒絹。

扉を開いて三人を迎えたもの。










「久しぶり、黒煉。大きくなったわね」










それは、まさしく奇跡だった。














 ◆◇◆◇◆◇◆















「久しぶり、黒煉。大きくなったわね」

扉を開けて俺たちを出迎えたのは、俺がずっと見たかった笑顔で、俺がずっと聞きたかった声で、俺がずっと待っていたあの人だった。

後ろに続く二人が、驚愕にその動きを止めるのが分かった。

だがそれに反して、俺にさしたる動揺はなかった。こんな事態を予想していたわけではないが、特になんの障害もなく心はそれを受け入れた。

「うん、久しぶり。母さんはちょっと痩せたね。年じゃない?」

「おっ、言うようになったわね。あんな可愛かった子が、こんなひねた子になっちゃうなんて、母さん悲しいな」

そう唇を尖らせながらボヤいているが、それでも顔には隠しきれない笑みが浮かんでいる。

数年ぶりの親子の感動の再会には、とてもではないが見えないだろう。それだけ二人とも自然体だった。

でもそれで良い。今俺たちに必要なのは特別な時間じゃない。

「ほら、もっと側に来てちょうだい。母さんによく顔を見せて」

「うん」

促されるままに病室に足を踏み入れ、ベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰掛ける。

この一年半ずっと使ってきたものだ。もはや慣れ親しんだ感触に、いくらか浮ついた気分が落ち着くのがわかる。

近付くといきなり両手で顔を掴まれた。

「うーん、こうして見ると、本当に紅熾に似てきたわね。目元なんてそっくりじゃない」

「そう? 写真とか見たことないから、分からないな」

頬をむにむにと摘まみながら、感慨深げそう語る。

「あれ、見たことない? 天神の屋敷にいっぱいあったと思うんだけど」

「凍夜さんがあるって言ってたけど、俺は見たことない」

「何やってるのよあの優男。本人が言わなくても、そこで見せてあげるのが大人ってものでしょうに。アコンプリスも、もうちょっと気を利かしてくれてもいいんじゃない」

『申し訳ありません、瑞樹様』

刺さったままの簪に指を這わせ、一緒に頭を撫でられる。

「髪質は私に似たみたいね。あの人は結構ゴワゴワだったから。長い髪もなかなか似合ってるわよ」

心地いいのは確かだが、少し恥ずかしいという思いもあった。

それでも数年ぶりのその感触にされるがままに大人しくしておいた。

「スクーデリア少将にレヴェントン提督も、そんなところでいつまで突っ立っているつもり?」

「あぁ……はい、失礼します」

声を掛けられて、ようやく現状に理解が追いついてきたであろう二人が再起動した。

普段に比べれば無駄の多いその動きから、まだ驚きを隠しきれていないのが分かった。

「失礼ですが、私たちのことが分かるのですか?」

「もちろん。この子がお世話になったわね」

「ということは、記憶が?」

「ええ、あるわよ。今までも意識自体はあったから、自分の周囲で何が起こっていたか、どんな状況か認識はできてた。それを出力できていなかっただけだから。

 だから、黒煉がずっと話しかけてくれたことも、全部覚えてる」

俺が今までしてきたことは、決して無駄じゃなかったのだろう。

それはすべて、ちゃんとこの人に伝わっていたのだから。

「んー、それにしてもずっと室内にいたんじゃ気が滅入るわね。少し外に出ましょう」

体中の関節を鳴らしながら、ゆっくりと伸びをする姿を見ていて笑いが零れた。本当にバキバキと音が響いている。

余り筋肉が硬くならないよう、リハビリの要領で身体をほぐすようにはしていたが、それでも自分で動かすのは数年ぶりだ。無理もないだろう。

そんなことを感じさせず、腕に刺さった点滴の針を勝手に引っこ抜き、その足で床に立とうとしたがすぐによろめいた。

転倒する前に支えに回ったが、大分焦った。少し艶を失った長い黒髪の隙間から顔を覗けば、気まずそうな苦笑があった。

「やっぱり無理みたいね。氣で誤魔化せばなんとかなるかと思ったんだけれど」

それは、氣で誤魔化さないとどうしようもないということでもある。

抱き留めたことでよりはっきりと感じられる、その軽さ。少し胸が締め付けられるような思いがした。

レヴェントンはここで安静にしていた方がいいと主張したが、相手はあの母さんだ。誰かに言われて我慢なんてことするわけがない。

グダグダと言い合う中、さっさと車椅子の準備を終えてそこに座らせた。あれ以上続けていたら、多分手が出ていた。

この人は、見た目は物静かな大和撫子なのに、実のところ物凄く短気だ。相手を立てるなんてことはせず、自分のやりたい事をやる。

俺に関することを除けば、大体他のことは知った事ではないという風に行動する。俺のことでも、よっぽどのことじゃない限り放っておくことの方が多い。

そういうことを知っている身として、無駄な被害は出さないようにとの配慮だ。

レヴェントンは不満そうだが、むしろ感謝されてもいいぐらいだと思う。

屋外に出れば、先程までの病棟とは打って変わって穏やかな活気に満ち溢れていた。

規模の大きい病院だけあって、その敷地面積もかなりのものがある。それも病棟ばかりではなく、広大に広がる芝生は庭園と言ってもよいぐらいだ。

俺たちと同じような患者と見舞い客のグループが、そこかしこで思い思いに寛いでいる。

「今日はいい天気ね。こうして外にいるだけでも、随分と暑いぐらい」

俺が押す車椅子に座って、俺が求め続けた人は語る。

「そうだね。でも、クラナガンは一年通じてそこまで気候に大きな差はないから丁度いいぐらいだよ。

 日本だと今はもう七月も終わりだから、もっと蒸し蒸ししてる」

本当はもっとその顔を見て、その瞳を見つめて話をしたいが、彼女が外に出たいと望むなら、俺に否はなかった。

「そう。今はそんな季節か。なのはちゃんたちは元気?」

「うん。みんな元気だよ。昔と違って、今は自分でやりたい事も見つけて、頑張ってる」

「あの子にもリンカーコアが、それもかなり質のいいものがあるのは分かっていたけれど、まさか次元世界に関わるようになるなんて思いもしなかったわ」

そう呟くこの人の心の裡は、どのような様相をしているのだろう。

なのはを恨むのだろうか。

あいつがいなければ、俺の存在がこうも早く管理局に察知されることもなかったかもしれない。

そうすれば、俺はこの人が望むような生活を続けることができたかもしれない。

皇にいるのだから、全く危険が無いとは言えないまでも、それなりに平和な生活を続けることができたかもしれない。

「別にあなたはそんなことで悩まなくてもいいのよ」

「俺の考えてること、分かるの?」

「当たり前でしょう、母親なんだから」

そう、母親なんだから。

「確かになのはちゃんにユーノ君、フェイトちゃんやシグナムさんに思うところが無いなんてことは言えないわよ。あの子たちの所為で、あなたが次元世界と関わりを持ったんだから」

やはり、悪い感情が零ではないのか。

それが少し心苦しかった。皆、俺の大事な友人だ。大切な人達だ。

それを母さんがよく思っていないということは、悲しかった。

「でもね、あの子たちのおかげで、あなたが大事なものを手に入れたっていうのも、変えようのない事実だから。だから、それ以上に感謝もしてるのよ」

本当に俺のことを見透かしているような言葉だ。

俺も多少は成長したと思っているが、この人にはどれだけ経っても敵わないのだろう。

それから暫くはお互い言葉もなく、ただゆっくりと時間だけが流れていった。

時折流れる緩やかな風。

空を見上げれば、雲ひとつない青空。

耳に届く、心地よい静かな喧騒。

そのどれもが、何物にも代え難い貴重なものだった。

「ねえ、黒煉」

幾ばくかの間を経て紡がれるその言葉。

「天神の屋敷に行きましょうか」

それはとても落ち着いていて、

「終りを迎えるのなら」

それはとても穏やかで、

「あの場所がいいわ」

それはとても、悲しい言葉だった。















 ◆◇◆◇◆◇◆














この場所にはもう何度も訪れた。存在を知ってからまだ時間がないから数え切れないとまではいかないが、それでも細かい数を覚えていない程度には。

周囲を深い森に囲まれ、その濃い深緑に鬱蒼さが際立つが、屋敷の上方は開けて青空が覆い、印象としてはそこまで暗くはない。

「変わらないわね、ここは」

あの言葉を口にしてから、そう時間は経ってはいない。

入院着のままで行くわけにもいかないため、身なりを整える時間は必要だったがそれだけだ。

着替えが済んだら直ぐにアコンプリスで転移してきた。既にアンカーなら打ち込んであった。魔法を行使するのに支障はない。

「さて、そこの二人。ここからは家族の時間よ。部外者は席を外してちょうだい」

後ろに控えるスクーデリアとレヴェントンに、視線もくれずそう告げる。

「分かりました」

「ですが、最後を見届けることは許していただきたい」

「ならここで待ってなさい。大丈夫よ、そんなに時間はかからないから」

母さんのそんな愛想の無い態度も気にせず、二人は言われるままに従った。確かにここで一々反論していたら、それこそ無粋の極みだろう。

敷居を跨いで屋内に足を踏み入れる。気がつけば掃除をするようにはしていたが、それでも劣化を止めることはできず、薄くカビの匂いが充満していた。

そこではたと気づく。

もともとこの屋敷は数百年単位の古くから建てられている代物だ。由緒ある大家で元々が大きいとしても、バリアフリーの概念など想定されず造られている。

車椅子での移動など不可能ではないまでもいろいろと不都合が出る。

「ほら、頑張りなさい男の子」

「はいはい」

「はいは一回」

「はい」

それがさも当然だと言うように、俺の首にその両腕を回す。すぐにその意図を汲み取って、俺は背中と膝裏に手を差し込んだ。

軽く勢いをつけて持ち上げるが、その時の感触に思わず顔を顰めた。

「女の子に重いなんて言ったら駄目よ」

「わかってるよ」

全く重いなんてことはなかった。むしろその軽さに驚いたぐらいだった。

しかしこの人も、女性としてはかなりの高身長だ。既に百六十を超えた俺よりも大分高いのだから、少なく見積もっても一七〇は超えているだろう。

それだけの身長差があると、横抱きというのは実に不恰好なもので、重さなんて関係なく辛いものがある。

だがそれは、女性を前にして表に出してはいけないこと。それがこの女性の教えだ。

行く先を指示されてまずたどり着いたのは、この屋敷における母さんの私室だった。かつて凍夜さんに教えられたことはあったが、一度も来ることがなかった場所。

あの人の言葉通り、部屋中に写真立てが置かれていた。いくつも存在するそれらに共通するのは、二人の被写体。

一人は紛れもなく母さんで、もう一人は初めて見る顔だったが、彼が天神紅熾その人であり、そして俺の父親なのだろう。

それがなんの疑問もなく受け入れられた。自らに流れる血がそれを教えてくれた。

母さんをゆっくりと座布団の上に座らせると、俺もその隣に並ぶように腰を下ろした。

「ね、よく似ているでしょう」

無数にある写真の一枚を手に取り、頭を撫でながら語りかける。

「そう……なのかな。誰かを見て自分と似てるかどうかっていうのは、本人にはよく分からない」

「それもそうね。親の贔屓目というのもあるかもしれないし」

笑いながら、彼女は初めて父さんのことを話してくれた。

二人がどうやって出会ったのか。

二人がどうやって付き合うようになったのか。

二人で初めて出かけた場所。

初めてキスをしたときのこと。

父さんの良いところに悪いところ。

アコンプリスをもらったときのこと。

俺の名前を決めるときに、派手に大喧嘩したこと。

俺が生まれた時の喜びよう。

その大半は惚気話のようなもので、親のそういった話を延々と聞かされるのは、むしろこちらの方が恥ずかしかった。

でもそのどれもが、母さんにとって何物にも代え難い大切な思い出であることは、それを語る表情を見れば明らかだった。

「ねえ、黒煉」

父さんの話を語り終え、しばしの静かな時間を挟むと、母さんは真剣に俺の瞳を見つめて話しかけた。

「私が寝ている間に、一度だけジェイル・スカリエッティが来たわ」

「……あいつのこと、知ってるんだ」

「あっちの世界では同業者だからね、名前と経歴ぐらいは聞いてたわ。仲良くやってるようね」

「まあ、ぼちぼちだよ」

母さんは何を言いたいのか。

そんなことは分かりきっているが、それでも俺は分からない振りをした。

「あの男はひとつの研究成果について語っていったわ」










『面と向かって会うのは初めてだね。はじめまして、皇瑞樹。実は今日は君に相談したいことがあってきたんだ。

 こうして話していても、それが君に通じているかどうかは分からない。結局のところ、ただの自己満足に過ぎないのだと思う。でも少し聞いて欲しくてね。

 私は弟に、君の息子に頼まれて、ひとつの研究を始めた。私たちが言うのもなんだが、それは生命倫理という点で見れば許されないものだろうね。

 確かに私たちは、人の命を弄ぶような研究と実験を繰り返してきた。社会的に言わせれば、既に十分許されない行為だ。

 でもね、それは所詮肉体の、いわゆる人の器を弄るだけのものに過ぎないんだ。だが彼の依頼は、そんな生易しいものじゃなかった。

 彼はその器の中身にまで手を加えようとしたんだ。人の身でありながら、魂を自分の都合の良いように作り変えようと考えたんだ。

 正直に言おう。彼の言葉に、私の中の無限の欲望は疼いたよ。今まで誰も至ったことの無い未知の領域に、その第一歩を残すことができるのだからね。

 普段の仕事の合間で、彼の期待に応えるべく実験を重ねたよ。そして最終的にそれは完成した。

 実際に成功例もある。一人の女性を、完全に一つのデバイスに造り替えた。私の欲望も十二分に満たされた。

 だがね、そこでふと別の欲望が首をもたげてね。今日はそのことを聞きに来たんだ。

 果たしてこの技術を君に使うのが、本当に弟の為になるのかとね、疑問に思ってしまったんだよ。

 確かにこれを君に適用すれば、彼は永遠に君を傍に置くことができる。彼が求めてやまなかった存在を、永遠に手にすることができる。

 でも本当にそれが彼の幸せに繋がるのかどうか、正直私には自信がないんだ。そんな形で手に入れた君に、彼を癒すことができるのか。恥ずかしい話、この私にも疑問が残るんだよ。

 もちろん彼に言われれば、私は何の躊躇いもなく君をデバイスに造り替えるだろう。彼の頼みに、私に否は無い。

 だが確かに、そこに疑問は残るんだよ。

 ……すまない。本当にただの愚痴になってしまったね。このぐらいで失礼させてもらおう。

 願わくば、私たちの愛する彼が、正しい道を選ばんことを』










「──彼が話していったのは、こんなところね。心当たりはある?」

そんなものはあり過ぎた。母さんに答えるのが苦痛なぐらいに、恐怖を覚えるぐらいに。

「別に、あなたを責めようなんてつもりはないわ。ずっと私はあなたの傍にいてあげられなかった。ずっとあなたに辛い思いをさせてきた。

 あなたがそれを望んでも仕方の無いことだと思ってる。もし、あなたがそれを望むのなら、私は喜んでこの魂を捧げるわ」

顔を見れば、その言葉がどこまでも真実であることが見て取れた。母さんは本当にそうなっても構わないと思っていた。

確かに、昨日までの俺なら迷わずその好意に甘えていただろう。現実の全てを否定して都合の良い夢に逃げ込んでいたに違いない。

俺の心は空っぽだった。それを満たすための何かを求めて、ずっとあなたの影を追い続けていた。

いびつに歪んだ偽りのものだとしても、それを誤魔化すためにジェイルに縋った。

でも、もう違うんだ。俺はもうそんなこと望まない。

俺にはシグナムがいる。

俺にはリンディさんがいる。

俺には果たすべき約束がある。

だから俺はもう立っていける。

「俺はもう、大丈夫だから」

そう笑って告げることができるから。

溢れる涙を零す母に引き寄せられ、俺はされるがままにその腕の中で抱き締められていた。

「うん……うん……そうよね。そうだよね。黒煉ももう、立派な男の子だもんね。私と紅熾の息子だもんね」

俺もこの温もりを忘れたくなかったから。

この温もりを、いつまでも覚えていたかったから。

この温もりを、心に刻みつけておきたかったから。





『……黒煉様』

しばしの時間をおいて、それまでずっと沈黙を保っていたアコンプリスが声を上げた。

『今日ここで、私も暇を頂こうと思います。よろしいでしょうか』

「やけに突然だな」

『いずれ、その時が来ると思っていました。もう貴方に、私は必要ありません。もう貴方は、私に護られる必要もありません。

 貴方はもう自分で歩いていけるようになりました。もしもの時、私に代わってあなたを護る者もできました。

 既に紅熾様と瑞樹様との約束は成されました。私の誓いは果たされたのです。

 それになにより、今まで貴方のお側に仕えてきましたが、私の真の主は貴方ではありません』

ああ、そうか。彼女が何を言っているのか分かった。

「別に、貴女がついてくる必要はないのよ、アコンプリス」

『それこそ、何を言うのですか。私は"アコンプリス"。私はただ一人、皇瑞樹その人の"共犯者アコンプリス"です。

 ならば、舞台を去るときは共にあるべきでしょう?』

以前から、アコンプリス自身はずっとこのことを考えていたのだろう。いや、予想していたといった方が正しいか。

一度、彼女の思いを聞いたことがあった。

母さんから俺を託された。片時も離れることなく俺を見守ってきたと。

そうしてこうも語っていた。

俺にもうアコンプリスが必要なくなったとしたら、その時は傍を離れると。

当時はまだその時ではないと言って、それこそ本当に母が子を守るように、ただのデバイスなのに牙を剥いていた。

「こうして話すようになってから一年とちょっとしか経ってないけど、それ以前からもお前はよく仕えてくれたよ。ありがとう」

母さんがいなくなってから、お前はずっと俺の傍にいてくれた。俺の心の支えになってくれていたと言ってもいい。

お前もいなくなるというのは悲しいけれど、それでももう大丈夫だとお前にも認められているようで、それ以上に嬉しく思うよ。

「これからは、母さんと一緒に居て欲しい」

父さんが、ただ一つ母さんに贈った物。

一緒に暮らしている頃も指輪を付けているのを見なかったことからも考えるに、アコンプリスがその代わりという意味もあったのだろう。

父さんが、ただ一つ母さんに贈った、愛の証。

いつまでも俺が借りていて良いものではない。

だからこれからは、二人一緒に居て欲しいと思った。





「部屋を移りましょう。あなたに渡しておきたいものがあるの」

少し落ち着いたところで促され、先ほどと同じように彼女を抱き上げ屋敷の中を歩く。

たどり着いたのは、同様にこれまで来たことのない部屋だった。

「歴代の当主の私室よ。そこの壁の張り板を押して。そう、その節があるところ」

他のところと変わりなく何の変哲もない壁に手をやれば、僅かばかりの抵抗を返してそのまま落ち窪んだ。

それに合わせて、すぐ傍のそれまでただの壁だと思っていたところに僅かな隙間ができた。

「隠し部屋?」

「ええ、中に階段があるからそれを降りていって」

隙間に指を差し込んで力を込めれば、長い間使われていなかったためにそれなりに重くはなっていたが、さしたる苦労もなく引き戸は開いた。

奥には言葉通りに石造りの階段があった。だが、そう深いものでもない。

顕現させた炎を頼りに視線をやれば、ほんの数メートル下ったところに終わりが見えた。

降りた先にあったのは、本当に小さな部屋だった。広さで言えば六畳間程度しかないだろう。

石で囲まれた空間のためか、やけに冷えた空気が体を包み込む。

ちょうど階段を背にして真正面の壁に窪みがあり、簡易な祭壇が作られていた。

そこにあるのは一振りの脇差し、いや見た限り刃渡りが一尺も無いため、正確には小柄だろう。柄も鞘も、朴木の黒石目。

「それ、持って行きなさい。もう、それを許されるのはあなただけだから」

その言葉と、この場所の意味を考えて、その意図はすぐに理解することができた。

つまりこれは、天神の当主の継承器といったところなのだろう。

「紅熾はこの部屋のことを聖櫃って呼んでたわ。そしてそれは代々天神に受け継がれてきた小柄。銘は天照アマテラス

 それこそ、天神の祖先と言われる天照大神の御世からあったらしいわ。精霊との契約の対価に授けられたとも。

 だからといって、特別な力があるとかじゃないわ。ただ頑丈で、少し切れ味がいいだけの小柄。

 でも、それだけじゃないのは分かるわね」

「うん」

この刀に求められているのは、物質的な能力ではない。それが持つ象徴的な意味だ。

精霊との契約の対価。それはつまり、精霊との契約の証とも受け取れる。

聖櫃という名前からも、そのことが窺えた。

カソリックでは聖櫃とはキリストの肉に聖変化した聖体が納められているというが、それよりもさらに古い旧約聖書の時代には、モーゼが神から与えられた十戒を刻んだ石版を納めた箱とも言われる。

後者の意味では、より正確な名称を契約の箱と言う。十戒もこの天照も、成り立ちを考えればさしたる差異はない。

果たして、これを持つことを義務としたのか、それとも精霊に何かを差し出してその見返りにこれを持つことを許されたのか。

今となっては、本来その二つのどちらの意味だったのかは分からない。

最後に残された盟約の血。

ならばこれは、俺が持っていなければならない。

「肌身離さず、持って置くよ」

「是非そうしなさい」

「それに貰えるものは、必要かどうかは後で考えて、とりあえず貰っておく主義なんだ」

「腹立たしいけど、まあその方が損することが無いから無難でしょうね。これからもその主義は貫いて」

少し場にはそぐわない軽口を言い合いながら、俺は天照を腰に差して母さんを抱きかかえて聖櫃を後にした。

「もう、やり残したことはないかしらね」

「そう」

「まああったとしても、そろそろ時間が迫ってるから無理か」

「そんなこと言わないでさ、後悔をして逝くのは多分悲しいよ」

「……うん、大丈夫よ。もう無いわ。戻りましょう」

そう……か。これで、終わりか。





「待たせた」

そうして屋敷の玄関まで戻ってきた。

中にいたのは、大体二時間といったところだろうか。その間、ずっと二人を待たせていたことになる。

それは少し申し訳ないと思った。

「いや、別に構わないよ」

「もう、よろしいのですか」

「ええ。二人ともありがとう」

上り框に腰をおろし、もう自分の力で体を起こしていることもできなくなった母さんを支える。

徐々にだが、まぶたが重くなってきたように感じられる。

「貴方たちには世話になったけれど、残念ながらこれで終わりじゃないわ。黒煉のこと、これからもよろしくね」

「もちろんです」

「彼は、私たちにとってもかけがえの無い大切な友人です」

二言三言、彼らが別れの挨拶を交わすのを俺は黙って見ていた。

横になりたいと言った母さんの肩に手を回し、ちょうどその顔を覗き込むような形に抱きかかえた。

「ああ、そうだ。やり残したこと、まだあったわ。ねえ、黒煉。奇跡ってなんだと思う?」

突然思い出したように目を開いて、だが落ち着いた口調でそんな台詞が飛び出した。

「滅多に起きない、幸運なこと……かな」

質問の意図を図りかねながら、とりあえず思いついた無難な答えを返しておく。

俺の返答に母さんは愉快そうに笑いながら語る。

「ええ、そうね。滅多に起きない幸運なこと。その通りよ」

さっぱり母さんの言いたいことが分からなかった。

「私もね、多分昔はそんなふうに思ってた。そして、私のところに奇跡なんて絶対起きないとも。

 でもね、それが奇跡かどうかなんて、結局のところ本人の受け取り方次第なのよ。考えようによっては、奇跡なんて満ち溢れてるものよ」

ゆっくりと指を一本ずつ立てながら、自らの奇跡を数え上げる。



「一度目の奇跡は、あの人と出会えたこと。



 二度目の奇跡は、あの人と通じ合えたこと。



 三度目の奇跡は、あの人と過ごせた時間。



 四度目の奇跡は、あなたが生まれてきてくれたこと。



 五度目の奇跡は、あなたと過ごせた時間。



 六度目の奇跡は、あなたが無事に生きていてくれること。



 そして最後の奇跡、なにか分かる?」



まるで見当もつかず、俺には首を振ることしかできなかった。

そんな様子もおかしそうに微笑みながら、母さんは最後の奇跡を教えてくれた。

「最後の奇跡はね……こうして与えられた……あなたとの別れの時間」

彼女のその微笑は、眩しいぐらいにとても輝いていた。

「きっと、これからいくつもの奇跡があなたを祝福してくれる。その奇跡を大事にしなさい」

俺はそれに何か応えなければいけないと思った。

そうして思い浮かんだものが一つ。

「これから何が起きるかなんて俺には分からない。でも、これだけは絶対に言える。

 俺の最初の奇跡は、母さんの子供として生まれたことだよ」

「そう、良かった。愛しているわよ、黒煉」

そう呟いて、母さんは眠りについた。

「俺も大好きだよ、母さん」

その寝顔は、悔しいぐらい穏やかだった。















 ◆◇◆◇◆◇◆















慣れた手つきで右手を後頭部にやり、バレッタを手に取り一息に簪を引き抜いた。

重力に引かれて勢い良く髪が流れ落ちて、その重さに負けぬよう首に軽く力を込めた。

ゆっくりと目の前で眠る彼女を抱き起こし、かつてそうであったようにその長い髪を纏め上げる。

その動作に澱みなど無い。常日頃自分でやっていることであり、また当時彼女がしていた動作はこの目に焼き付いている。迷うことなど有り得なかった。

五分もすれば、体つきは痩せ衰えたがあの日のままの姿を再現することができた。

「後のことは頼んだよ」

『お任せください』

屋敷の中でずっとそうしていたように、既に眠りについた母さんを横抱きにして表に出る。

これだけの敷地を持っていれば、門から本宅までにもかなりの広さがある。ここが丁度良いだろう。

体内を循環する力を知覚し、常人にはないもう一つの感覚に意識を向ける。

歩を進めながら、普段とは違う髪の流れる気配に続いて、盟友の声が響いてきた。

力として顕現はせずとも、既に淡い燐光のように周囲を飛び交い始めたのがわかる。

辺りを照らす夕焼けに混じってなお輝き、またその朱に混じってさらに煌めく光景は幻想的と形容してもまだ足りないほどであった。

ちょうど道の中程まで来たところで立ち止まる。

今度ははっきりと精霊へと呼び掛ける。

この別れに、その浄化の力を貸して欲しい。

彼らはその声にすぐさま応え、赤き炎が猛り周囲を照らし出す。

だからといって周りの草木に燃え広がることはない。俺がそう望めば、彼らはそれを尊重する。

それは緻密な制御を要するが、今の自分ならなんの苦も無く成せる気がした。

自らを中心に一条の炎柱が吹き上がる。直径にして五メートルはあろうそれは、容易く自分たちを覆い隠した。

「じゃあな、アコンプリス」

『ええ。黒煉様も、息災で居て下さい』

「ああ。最後までありがとう」

天に捧げるように両腕を伸ばし、眠る母さんを差し出した。

手を放してもその身は地に落ちることなく、高さを維持したまま漂い続ける。

それを見届けると、一人で炎から抜け出た。数歩分だけ離れて後ろを振り返り、天を裂く火の塔を見上げる。

ゆっくり、ゆっくりと彼女の体が燃え尽き、小さくなっていくのが分かる。

涙は出ない。

流すことはできなかった。

そもそも、既に流す理由がなかった。

そんなものは、昨日あの場所に置いてきた。

炎が巻き起こす風に吹かれて、自分の髪が靡いているの感じた。

ふと思いついて、腰に差した天照を引き抜き順手に構える。

左手をうなじに回し、そこにある髪を一つに纏め掴んだ。右手も同じように背中に回す。

もうこれは、俺には必要のないものだから。

黒絹に刀身を押し当てると、一思いにその刃を引いた。首に掛かっていた負担が一気に無くなる。

左手で掴んでいた髪の束を見つめると、どこか感慨深い思いが胸を襲う。

この四年間で慣れ親しんだ重みが無くなり、むしろ首元が寒いと思うぐらいだ。

これまで持っていた未練の欠片を捨てるように、それも目の前の火に投げ入れた。

燃えゆくそれを見つめながら、ひとり考える。

あの人は退魔を生業としていた所為か、ひどく淡々とした性格に反して、とても精神的なものを尊重する人だった。

俺に天神の継承器を渡したということは、母さんは俺に精霊術師として生きることを望んでいるのだろうか。

もしそうだとしたら、俺は今この場で僅かでもその思いに応えたいと思った。

だからこそその切実な思いを精霊に伝え、それに精霊は同調して普段以上にその力を奮ってくれている。

だというのに、俺は目の前で起きていることに満足できていなかった。

あの人が俺に期待していたのは、この程度のものなのか。

足りない……全然足りない。

あの人を見送るのに、あの人への手向けに、こんな炎では足りない。

なにより俺自身が納得できない。

「俺は……天神だ」

母さんが何を思って俺に継承器を託したのかなんて分からない。

だがそもそも、そんなもの分からなくてもいいのかもしれない。

これは所詮俺の我侭でしか、ただの自己満足でしかない。

「お前たちが契約した……血族の終端だ」

黒く染まった神氣が、体中から吹き出した。

もっと、ずっと先の、遥かな高みへ。

「お前たちの最後の盟友……天神黒煉だ!」

新たな決意を口にして、未練の欠片が消え去った瞬間、神氣と炎が融け合った。

それは今しがた燃え尽きた髪と同じ艶のある漆黒。

背後でスクーデリアとレヴェントンが息を飲む気配がした。

どこまでも深い闇のようでありながら、それでいてその色のまま辺りを明るく照らし出している。

黒でありながら眩く光り輝く炎。

明らかに矛盾したその存在は、おそらく母さんからの最後の贈り物。

俺が求めた……別れの答え。

俺の真霊は全てを浄化し、その炎が消え去った後には何も残っていなかった。

それこそ塵の一つも残さずに、全て焼き尽くしていた。

だが何も存在せずとも、俺の心に全て焼き付いていた。

それがあるのなら、俺は俯くことなく前を見て歩いていける。

今の真霊術をもう一度やってみろと言われたら、まず間違いなくできない自信がある。

でも、良いんだ。俺にとってあれが必要だったのは、今この時だけなのだから。

いつか、あの場所に辿り着く。それで構わない。

役目を終えた盟友に感謝の意を示し、個人の支配から解放する。

彼らは歓喜の声を返しながら霧散して、各々の本来の役割へと戻っていった。

その姿を見送ってから、踵を返してスクーデリアとレヴェントンの元へと歩み寄る。

「待たせたな、行こう。取り敢えず一度部屋に戻って生活に必要なものをまとめて、住む場所はクラナガンに行ってから考えるか」

そう声を掛けたが、二人ともぼけっとしたまま反応がない。

「どうかしたのか」

「いやぁ、どうかしたってわけじゃないんだけど……」

「予想よりもずっと落ち着いていると思いまして……」

今の俺の状態がお気に召さないらしい。

「別に落ち着いてるわけじゃないよ。確かに胸は張り裂けそうなぐらい悲しいし、今にも泣き叫びたいほど"心"は痛い」

そう、心が痛いんだ。

「でも、失う覚悟だけならとっくにできてた。そしてそれを受け入れる器も昨晩もらった。

 それでも今ここで膝をついたら、きっとすぐには立てない。それは別に誰の所為でも無いけど、誰かが居たからって即座に治るものでもないだろう?」

「そうですね、貴方の言うとおりです」

レヴェントンからやけに実感の篭った声音で同意の言葉が紡がれた。

わずかに疑問を残しながらも、俺は続ける。

「それに死はそのまま希望の消滅を意味するんじゃない。希望を殺すのは遺された者たちだよ。

 俺は母さんが残してくれたものを無駄なものにしたくない。だから、今はちょっとぐらい無理してでも立ってる」

それが、お前たちの感謝の気持ちの表れでもあるんだよ。

少し気恥ずかしくて、最後の言葉はほとんど息の抜ける音だけになってしまったが、それは俺の本心だった。

すると突然、勢い良く頭を撫でられた。

いや、撫でられたと形容するには力が強すぎる。それはもう、ガシガシと豪快に。

「いやー、カッコいいね男の子。よしよし、お姉さんがハグしてあげよう」

「いらん。というか痛い」

「ほらほら遠慮しないで。私これでも局内で人気なんだよ。役得だと思っておきな」

バフッ、と体ごと強引にその腕の中に収められる。

こいつ女性にしては上背があるから、それなりに背が伸びた俺よりもさらに高く、ちょうどその胸に顔を突っ込む形になった。

「男女問わず、この胸に飛び込みたいって意見は多いんだよ。生憎後ろのロリコンは興味ないみたいだけど」

「大きなお世話です」

レヴェントンって幼女が好きなのか。とりあえず、沙夜を奴には近づけないようにしよう。

やたらとでかい乳を引き剥がしながら、心のなかにしっかりと刻みつけておく。

わずかに開いた距離で彼女を見上げれば、先程までとは違う真面目な表情が浮かんでいた。

「でも、辛かったら泣いてもいいんだよ。君が立ち上がれるまで、私たちは待ってあげられる。無理してクラナガンに来ることもない」

本当にこいつは、次々に表情が変わるな。

メリハリがあるといえば聞こえはいいかもしれないが、どうも唐突に過ぎるとも思う。

だが、俺を心配してくれているというのも本当だろう。

それを察して、俺も真剣に答える。

「海鳴を出るのは、それが必要だと俺が思うからだ。これからのことを考えると、管理世界で生活した方が都合がいい。

 心配してくれるのは嬉しいが、それでも泣くのはやめておくよ。泣いたら、涙と一緒に全部流れていっちゃうからな。悲しみも辛さも、全部自分の中に留めておくんだ。

 流し去ってしまわないように。ずっと、あの人を覚えていられるように」

「……全く、ホントに君はカッコいいね。お伽噺の英雄みたいだ」

「突然何言い出すんだよ」

「そういうのが好きなんですよ、ヴァネッサは。女傑を地で行く彼女ですが、意外と乙女な一面もあって」

「うるさいよアイズ。さっきの仕返しか」

ジト目で相棒を睨む彼女は、それでも楽しそうな気配を隠そうとはしない。

「まあ、そういうことでね。うん、今の君は、幾多の苦難が立ちはだかっても、それでも戦い続ける勇者みたいに見えたんだよ。惚れちゃいそうだよ」

「阿呆抜かせ。それにお前は、どっちかっていうと悪魔とか魔王側だろう」

「あれ? よく私の昔の二つ名知ってるね」

「なに? 悪魔なのか?」

「今でこそ言われなくなりましたが、管理局の蒼い悪魔と呼ばれている時期はありましたね」

初めて聞いたよそんなこと。今はなのはが白い悪魔とか呼ばれているらしいが、元々はこいつから来たのか。

「気に入ってたんだけどね。黒煉君の言うとおり、お伽噺でも大魔王とかの方が好きだから」

「また珍しい意見だな」

「だってさ、英雄がいなくても魔王は存在するけど、魔王がいないと英雄は出てこないじゃないか。ほら、魔王の方が大事」

なんという無茶理論だ。まあ、そういう考え方もあるんだろう。

だが口振りや、話している時の様子からして、そう単純なものでもなさそうだった。

「まあ、私の少女趣味の話なんてどうでもいいよ。さっさと行こう」

スクーデリアは仕切りなおして声を上げ、彼女の足元に魔法陣が浮かび上がる。

「取り敢えず今日は私の部屋においで。私も残ってる仕事終わらせたらすぐ帰るよ。美味しい晩御飯作っておいて」

「レヴェントンはいいのか」

「私は本局勤めで次元航行部隊の本部組ですからね。本当なら、そうそう本局から出ないものなんですよ」

「そうそう。だから、こいつは放っておいていいんだよ。ご飯食べたら、一緒にイイコトしようね」

「なんだよイイコトって。セクハラか?」

「何想像してるんだいこのおませさん。髪切ってあげるよ。そんなナイフでざっくり切ったようなのじゃ見苦しいだろう?」

「ああ、それは助かる」

三人で言葉を交わしながら、俺たちは光に包まれた。














一度だけ後ろを振り返る。

もうそこには何もない。

もうそこには誰もいない。

そこで俺は大事なものを失い、だが大事なものを手に入れた。

アコンプリス。母さん。

俺はもう大丈夫だから。

俺はもう歩いていけるから。

だから、どうか安らかに。















「さて、これから忙しくなるな」

こうして空を埋めた少年は、地球を後にした。















魔法少女リリカルなのは 空の少年

第一部

『繋ぎ止めるココロ』

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